リアリティ・トランサーフィン 第4巻(その1)

第3巻に引き続き、第4巻からの抜粋です。このシリーズ、やはりわかりづらくて需要がないのか、絶版になってしまってますね。これまでの復習も兼ねて、この最終巻からはなるべくたくさん抜粋したいと思います。

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p30
近所づきあいでは、たとえば、騒音は一番の問題である。あなたが気にすればするほど、騒音は一層しつこくつきまとってくる。けれども、静寂や平穏は、あなたにとってだけでなく、あなたの隣人たちにとっても、最適な生活条件だ。それが確保されていれば、消費エネルギーは少なくて済む。静寂や平穏を乱すというのは常に異常なことであり、それはエネルギーの何もないところでは起こりえない。いったいどこからそんなエネルギーを持ってくるのか。
隣人たちからの騒音でバランスを崩したあなたは、彼らを憎む。あなたの腹立たしさこそが、エネルギーの源泉なのだ。依存関係が生じ、分極化を引き起こす。「あんなに騒々しい奴らなんか大きらいだ!」という激しい感情が強力な磁石を作りだし、それがあらゆる新たな苛立ちの素をあなたのほうへと引き寄せる。
(中略)
自分にも他人にもあるがままでいることを認めてあげる、というトランサーフィンの基本的な決まりを守るだけでよいのだ。世界を解放して自由の身にし、どこへなりと好きなところへ行かせてあげればよいのだ。自分で固く握りしめているものをゆるめよう。
あなたが自分の願望や要求に固執しようとすればするほど、あらゆる正反対のものを引きつける磁石はますます強力になる。あなたは世界の胸ぐらを取るが、世界のほうは解放されようとして抵抗するのだ。
(中略)
たとえば、ある程度の時間でよいから、隣人たちのことを頭から追い出し、彼らを非難するのをやめ、彼らが単に存在しないというふりをしてみよう。「あいつらなど、知ったことか!」と自分に向かって言ってみよう。彼らを自分の世界の層から放り出すだけのことだ。
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p57
自分がありのままでいることを認めるということは、自分の不完全な部分すべてをひっくるめた自分を受け入れることを意味する。他者がありのままでいることを認めるということは、自分の期待を他者に投影するのをやめることを意味する。
繰り返しておこう。必要なのは、振り子の決まりと縁を切り、それをトランサーフィンの決まりに置き換え、フレイリングの第一法則※に従って、自分の意図を送る、ということだ。
※「受け取る意図を断念し、その代わりに与える意図を持とう。するとあなたは受け取りを断念したはずのものを受け取ることになる」
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p76
長い間、構造にすっかり支配されている人は、ほとんど意識の欠落した状態にあり、魂の声に耳を貸そうとはしない。従って、その人は自分本来の道を探し出せず、構造の幸せのために一生平身低頭して過ごす。
私はその人本来の道が構造の外にあるのだと言いたいのではない。山中にこもり、振り子の世界と絶縁することは可能だ。けれども、もしそこでの生活も覚醒状態のままで無意識に見る夢のように続くとしたら、結局、何も変わらないだろう。
構造の中に踏みとどまりながら、自分の運命の主になるための話をしているわけである。そのためには、ただ目を覚まし、舞台から立ち去ることなく、そのゲームを観客の目で眺めてみるだけでよい。すると、誰が振り子の寵児で、誰が「ひょうきんもの」や「お調子者」なのか、また誰が決まりに従っている信奉者なのか、すぐに見えてくる。
だからといって彼らを非難してはならないし、軽蔑するのはもってのほかだ。もし、ものごとの在り方を認識した結果として、自分を「眠っている者」と対置し始めると、依存関係が生じ、分極化を招き、「目覚めた者」がはみ出し者にされることは絶対に避けられなくなる。振り子の決まりと縁を切るだけでは不十分であり、それをトランサーフィンの決まり、「自分にも他者にもあるがままでいることを認める」に置き換えなければならないことを必ず覚えておこう。
すると、自分のなかに拠り所を見つけることができるのだ。周りで起こっている事態を理解することで、すでに半分はやり遂げたも同然だ。状況を理解しているだけでも、自分への穏やかで揺るぎない自信が生まれる。なぜなら、自信のなさは、不確実性を前にした恐怖感から生まれるためだ。人がゲームの決まりを知っていないと、取り巻く世界は恐ろしくて敵意に満ちたものに思われてくる。そうなると、沸き起こってくる孤独感や抑圧感といった感情がその人を眠らせてしまい、振り子の決まりに従属せざるを得なくする。
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p122
ブロンニコフによって設立された国際人間開発アカデミーの教え子たちは、本当にどんな枠にも収まらない能力を実証した。子供たちは目を閉じたままで、目を開けた状態のように物を見ることができる。また、彼らは膨大な量の情報を記憶することができ、千里眼の能力を持ち、望遠鏡を覗くように遠くにあるものを見ることができる。そして、彼らは壁の向こうを、まるで壁が存在しないかのようにして、透視することができる。こうしたことはにわかには信じがたいが、事実であることに変わりはない。彼らはどうやっているのだろうか。
このような直接視(direct vision)の効果を研究している神経生理学者らは、観察結果を次のように記述している。
「普通に物を見る場合は、シグナルの入力場所、脳内におけるシグナルの移動、およびその処理が装置によって突き止められる。直接視の場合、シグナルの入力場所は記録されず、シグナルの脳内移動もないのだが、シグナルの処理は装置によってはっきりと検知される。シグナルが脳に入るのを遮断しようとしてあらゆる試みが行われたが、すべて否定的な結果に終わった。シグナルの物理的パラメーターを考慮すると、電磁的プロセスとは関係のない特徴が現れている、というようなことを私たちは発見しつつある」
脳は、視覚器官の仲介なしに、それ自体で見る能力を持っていることになるが、情報の受容方法は不明である。こうしたことのすべてをどのように理解すべきか。ブロンニコフはこの現象を、人間の意識と彼が命名するところの超意識との間にある関係の存在から説明している。彼はこう書いている。
「超意識とは、人間の外側にある何らかの媒体である」。おそらくあなたは、この媒体のことをトランサーフィンではバリアントの空間と呼んでいると推察したことであろう。といっても、どう呼ぼうが同じことなのである。本質は何も変わらない。
理性、あるいは脳と呼びたければそれでもよいが、それは、バリアントの空間に存在するものを魂を介して「見る」。目は物質的リアリティを観察する。では、直接視する時の脳はというと、取り巻くリアリティのすべての痕跡が保管してある形而上学的情報フィールドに繋がる。このデータ・バンクにアクセスすることで、対象が、壁の向こう、土の中、または何キロも先など、どこにあろうと関係なく、それを詳細に見ることが可能になる。
バリアントの空間には、物質的現実化がなされた領域と、そうなっていない領域とが存在する。直接視ができるようになるには、今まさに自分がいる現実化されたセクターを知覚するやり方を学ぶことが不可欠となる。生理学的観点からは、大脳の左右の半球を特別にシンクロさせることと解釈することが可能である。
バリアントの空間には、過去や未来の可能性のあるすべてのバリアントに関する情報も保管されている。このことは、バリアントの空間へのアクセス権があれば、予知能力や千里眼の展望も開けてくることを意味する。問題は、バリアントが無限に存在するため、現実化されないであろう事象も見てしまいかねないという点だけである。まさにこの理由から、予知能力や千里眼の持ち主たちは、その能力を用いるときに間違いを犯すことがよくある。なにしろ過去に起こらなかったことや、未来に起こらないであろうことも見ることができるのだから。
(中略)
素晴らしいことではなかろうか。未来が宿命としての予断を許さない以上は、つまり未来への希望が残されているということになる。トランサーフィンの課題は、後悔しながら過去を振り返るのでも、恐る恐る未来を眺めるのでもなく、意図して自分のリアリティを形成することにある。
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p169
この二元鏡の世界では、目的達成の条件や状況は、バリアントの空間から持ってくればいい。
リアリティは自らの姿を二つの形態で現す。一つは物質的なもので、手で触れることができ、もう一つは形而上学的なもので、知覚の向こうにある。二つの形態は、互いに干渉しあったり、補完しあったりしながら、同時に存在する。二元論は私たちの世界から切り離すことのできない本質である。多くのものごとはそれ自体と対立する面を持つ。
(中略)
世界全体を巨大な二元鏡としてイメージすることができる。その一方の側には物質的宇宙が広がり、他方の側には形而上学的なバリアントの空間が存在する。
(中略)
もしリアリティの形而上学的側面を捨て去り、物質世界だけに注意を払うとすれば、人間を含むあらゆる生き物の活動は、内的意図の枠内での原始的運動になってしまうだろう。
(中略)
この世界ではあらゆるところに競争精神が染みついている。非常に多くの人々が同じことを達成しようと望む。しかし、内的意図の範囲内であれば、もちろん全員が達成するということにはならない。では、目的達成に必要な条件や状況はどこから持ってこいというのか。そう、あそこーバリアントの空間ーからなのだ。
鏡の向こう側には何でもあふれるほどある。それも競争なしだ。現物はないが、まるでカタログからでも選ぶように、好きなものを何でも選んで注文できるという点が素晴らしい。注文は遅かれ早かれ実行され、それに対する支払いは生じない。必要とされるのは、それほど負担にならない一定の条件を守るだけだ。「それっておとぎ話かい?」
決しておとぎ話などではない。それは本当に現実の話なのだ。思考のエネルギーは跡形もなく消えてしまうのではなく、バリアントの空間にある思考エネルギーの放射にパラメーターが合致するセクターを物質化する。私たちの世界で起きているすべては物質の相互作用の結果であるかのように思われるのは見掛けだけのことだ。仮想空間に存在しているバリアントが現実のものとなるときに、波動エネルギー世界で生じるプロセスが、ここでは物質の相互作用に劣らず重要な役割を果たしている。
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(その2)へ続く