インナーゲーム

1970年代に出版されたロングセラー。当時欧米で流行っていたZEN(禅)の思想を取り入れて、テニスを上達させるための方法論をまとめた本です。
私はテニスをやったことがないし今後やる予定もないですが、とても興味深く読めました。
この本のやり方はテニスに限らず、全てのスポーツに応用できます。さらに、楽器の練習にも使えそうだなぁと思ったら、これを音楽に応用するための本も出版されていました。ゴルフ用スキー用仕事用まであるようですね。
言いたいことは『弓と禅』に通ずるものがありますが、そこまでスピに突っ走っておらず、こちらの方が実践的で読んでいる最中に自分でも色々試したくなります。

初めてこの本を読んだ時、すごく悔しい気持ちになりました。できれば中学生くらい、せめて10代のうちに読んでおきたかったと思ったからです。すでに色々なスポーツにコミットして、全盛期を過ぎたあたりでこの本に出会い、読んでみたら、自分なりに掴んだ上達のコツのようなものが言語化されていたのでした。なので、この本は人生の前半には出会っておかないとあまり意味がないんじゃないか、とも思いましたが、レビューを読むと、中年以降に始めたスポーツや仕事にも応用できている人も多く、やはり、全ての世代の方にオススメできそうです。

スポーツや楽器の練習などは、基本的には以下のプロセスの積み重ねです。
できない技がある→反復練習をする→できるようになる
反復練習をする時には頭の中でこんな声がします。
「タイミングが遅すぎる!」「重心がもう少し前の方がいいな」「何やってんの?今のは最悪!」「右に行きすぎだよ」「今のは結構いいんじゃない?」「まーた同じ失敗した!」などなど。
こうやって自分を叱責して、常にコントロールしたがる声の主をこの本では『セルフ1』と定義しています。これに対して、実際に体を動かして行動する存在を『セルフ2』と定義しています。
この本が伝えたいことは、
『セルフ1』を静かにさせて『セルフ2』に任せると上手くいく
ほぼこれだけです。禅で言うところの「無心になれ」でしょうか。
弓と禅』では、弓の達人である阿波師範が、真っ暗闇で視覚が使えず何も見えない状態で矢を放ち、遠くの的のど真ん中に2回連続で的中させた後、「私が矢を放ったのではない、ソレが放ったのだ」と説明しました。
ここでいう、
『私』=『セルフ1』
『ソレ』=『セルフ2』
と考えていいと思います。

赤ちゃんの、首がすわる→寝返り→おすわり→ハイハイ→立つ→歩くというプロセスは全て『ソレ』=『セルフ2』が主導権を持って行っており、『私』=『セルフ1』は不在か、あるいは、見てるだけでその場を仕切ったりはできません。

初めて歩けるようになった時のことは全く記憶にありませんが、当時は言葉が上手く操れなかったため、「もっと右!」「重心が違う!」などという『私』=『セルフ1』の声は頭の中に響いておらず、ほぼ無心だったと思われます。

初めて自転車に乗れるようになった時のことはうっすら覚えています。大きな広場のある公園に行ってから、父に自転車の補助輪を外してもらいました。その途端自転車は不安定になり、手で押さえてないと左右どちらかに倒れてしまいます。意味が分かりません。こんな危ないモノに乗れるのか???
父が「漕ぎ続ければ倒れないよ」と言ったので、「そうなのか?!」と乗って漕ぎ続けようとしましたが、すぐに倒れてしまいます。何度やっても倒れます。途中で一度心が折れました。
ずっと補助輪をつけっぱなしで乗ればいいじゃないか。。安定していて安全だし。。なんでこんな危険なモノに乗らなくてはいけないんだろう???
しかし、何度か繰り返すうちに、何故か急に乗れるようになります。
あれ??なんか乗れちゃってる!!
これは、誰でも同じようなプロセスを辿ると思いますが、体が勝手に乗れるようになってしまったという感覚ですよね。
私はこの時、とても不思議でワクワクするような高揚感がありました。自分の中に『私』と『ソレ』の全く別の二つの存在を感じました。
『私』:こんな危険なモノに乗れるはずがないと思っていたのに何回か繰り返したらいつのまにか乗れるようになってしまった。。。びっくり!
『ソレ』:「乗って漕いでみて倒れる」という体験の一つ一つのデータを収集して分析し、微調整しながらバランスが取れるように学習した

『ソレ』は『私』がピンチの時に、急に出てきて助けてくれたりします。

私は小学校1年生の時、親が共働きだったので、放課後は児童館に通っていましたが、そこではいろんな地域からいろんな子が通ってきていたのでサバイバルが大変だった記憶があります。ある日、気の強そうな子が「これ取ってみな!」と言って、急にピンポン玉を至近距離からすごい勢いで投げてきました。ぶつける気満々でした。
私は咄嗟に怖い!と思って目をつぶりました。気がつくと、手にはしっかりピンポン玉が握られていました。投げた子は「ええ!!今のなんで取れたの??」と驚いて近寄ってきました。「すげー・・・なんでなんで?」
私も「なんで?」と思いました。体が勝手に動いてくれたのです。この時もまた自分の中に『私』と『ソレ』の全く別の二つの存在を感じてワクワクしました。
『私』:うわぁ、なんか投げてきた!怖い!!と目をつぶった。気がついたら手の中にピンポン玉が入っていた。。。びっくり!
『ソレ』:目を閉じる前の一瞬で飛んでくる玉の軌道とスピードを計算して予測し、さらに、それが石などの危険なモノではなく球体で素手で取っても安全であることを確認し、正確な位置に手を出して完璧なタイミングでキャッチした

こんな風に『ソレ』は一瞬だけ出てくることもありますが、ある程度長時間『私』と入れ替わって主導権を握ることもあります。いわゆるゾーンに入るという体験です。

このエピソードも私が小学校1年生の時のことです。これも児童館でした。
6年生の男子2人が私たち1年生の集団に近づいてきて、
「これからドッジボールの試合をしよう。俺たち2人対1年生全員でいいよ。夕方のチャイムが鳴るまでに1年生がひとりでも生き残っていたら1年生の勝ちでいいよ。こんだけハンデがあるから大丈夫でしょ?」と提案してきました。
その場には15人~20人くらいの1年生がいて、男女比は半々くらいだったと思います。1年生の子たちはノリノリで快諾し、その場にいた私も巻き込まれるかたちで試合に参加しました。周りのみんなも楽しそうだったので、軽い気持ちで参加しました。
こうして6年生vs.1年生の試合が始まりました。それは惨劇の始まりでした。
6年生の鋭い球が容赦なく飛んできて、ぶつけられた1年生が次々と外野に押し出されていきます。運動神経がいいとされていた男の子たちも、嫌な角度からものすごい速さで飛んでくる(ように当時は見えた)球をキャッチできず、あっさりと当たってしまいます。6年生はヘラヘラ笑いながら、狩りを楽しむように一人ひとりを確実に当てていきます。なすすべなし、です。1年生と6年生の身体能力の差を考えれば当たり前です。この6年生の子たちはハラスメントを楽しみたかったのでしょう。気がつくと、コートに私一人だけ残ってしまいました。
うわぁ、最後の1人になっちゃった。。私が当たると1年生チームの負けってこと?私のせいで負けるのやだなぁ。。痛いのもやだなぁ。。
その時に6年生の子が言ったセリフを今でもはっきり覚えています。
「よーし、あとオナゴ一匹、楽勝~♪」

このセリフで私のスイッチが入ってしまいました。正確に言うと『ソレ』のスイッチが入りました。この瞬間『ソレ』は勝つことに決めたようです。ムカついたからスイッチが入ったというよりも、あ、こりゃ勝てちゃうな、と勝つ道筋が見えてしまったという感じです。おそらく、相手がこちらを完全に舐めているという点、残り時間、当時の私の身体能力、その日の天候や風の流れなども含めて瞬時に計算したのでしょう。肚の底から勝てる確信が急に湧いてきました。
この状況でできることは以下の3つ。
①6年生の球をキャッチして、6年生に当てて仕留める
②6年生の球をキャッチして、外野の味方にパスする
③ひたすら逃げて、夕方のチャイムが鳴るまで生き残る
『ソレ』は0.1秒もかからずに①と②の選択肢を捨て、③の戦略を選びました。『ソレ』はとても賢いのです。6年生の球をキャッチするのはリスクが高すぎるので、イキって無理なことはしません。
そこからは思考が完全に止まりました。逃げることに全集中です。2人の6年生から均等に距離を取りつつ、逃げて逃げて逃げまくりました。時間の感覚も失いました。
そして夕方のチャイムが鳴り、1年生チームの歓声が聞こえてやっと我に返りました。6年生の呆然とした表情が目に入りました。
変性意識状態から戻ってきた『私』は『ソレ』から主導権を取り戻しました。
あ、目立ちすぎちゃったかな。。一度もパスできなかったけど、みんな見ているだけで退屈だったかな。。と不安になってきました。
すると、それほど仲良くなかったリーダー格の女の子がいきなり私に抱きついてきました。「私たち、昔からマブダチだったよね~」みたいな雰囲気を周囲にアピールしているようでした。その日はかなりチヤホヤされたので、ああ、よかった、大丈夫だった。。と安心しました。
この時もまた自分の中に『私』と『ソレ』の全く別の二つの存在を感じて面白かったです。
『私』:何もしていない。目立ちすぎたかなと不安になったが、結果的にチヤホヤされて気持ちよかった
『ソレ』:勝つと決めて、勝てる戦略を選び、勝った。体をたくさん動かして気持ちよかった

こうやって改めて書いてみると、『私』は『ソレ』に比べてだいぶポンコツです。なのに、言葉をたくさん覚えて語彙が増えていくにつれ、『私』は自分の方がリーダーだと勘違いするようになっていきました。
そして、スポーツや音楽や、そういった“瞬間の技能”が重視されるジャンルでは、練習の時も本番の時も『私』がしゃしゃり出てくるようになりました。そして『私』の声に散々悩まされて試行錯誤した結果、あれ、『私』が黙っていた方が上手くいくんじゃない?と気づき始めました。
『私』がおとなしい方が反復練習の回数も格段に少なく上達できるし、試合やライブなどの本番も上手くいく、しかし、せっかく上手くいっている時に「あ、私、今いい感じじゃない?天才じゃない?」などと『私』がしゃしゃり出て来ると、ミスをしてインプロヴィゼーションが台無しになる、それに気づいてまた『私』を黙らせると、ミスした状況を利用しながら芸術的に立て直すことができる、、、といった繰り返しでした。
しかし、言葉を覚えてしまった以上、完全に『私』を黙らせることは不可能です。
この本では『私』が『ソレ』の力を引き出すために、どうやって『ソレ』と付き合っていけばよいのかというコツが書かれています。
例えば、『ソレ』に“命令”するのではなく“お願い”すること、『ソレ』は言葉が通じないのでイメージや身体感覚でコミュニケーションをとること、などです。
何かが上達したいけど練習しても手ごたえがない、という方は何か突破口になるヒントが書かれているかもしれません。興味があれば是非読んでみてください。

それと、これはこの本には書かれていないのですが、もう一つ、何かが上達するために必要なことがあります。
それは、「誰かに教えること」です。よく言われることですが、これは必須といっても過言ではありません。
自分の経験からも、これは絶対に一番大事なことです。

例えば、こんな体験がよくありました。カポエイラのアクロバット技の一つが成功率50%くらいの確率でできるようになった頃、後輩の子に「その技教えてください」と頼まれます。そこで、どうやって教えればいいんだろう?と考えます。考えながらお手本としてその場でその技をやってみます。そういう時にお手本としてやって見せる技は、ほぼ必ず成功します。50%くらいの成功率が90%くらいまで跳ね上がります。毎回そうなるので不思議でした。かっこつけたいからそうなるのかな、と思っていたのですが、それだけではないようです。
どうやって教えたらこの子はできるようになるんだろう?と考えながらお手本を見せると、イメージの中で検索が始まります。脳内に、自分が様々な場面でその技を成功させた瞬間のたくさんの記憶が再生されて、その成功した場合の共通点を探っているようです。その共通点、つまり自分が一番しっくりくるコツのようなものがイメージとして降りてきている最中に実践するので、おそらく毎回成功するんだと思います。つまり、その瞬間は自分で自分に教えているのです。言い換えれば『ソレ』が『私』に教えているのです。

この方法はテスト勉強や受験勉強にも使えます。
これは、高校時代のテスト前、どうしてもこの範囲を覚えなければならないのに集中力が続かない、と苦しんでいた時に思いついた方法です。実家に何故かホワイトボードがあったので、そこに書き込みながら、誰かに講義するように説明しながら暗記してみました。そうしたら、あっさりと暗記できてしまったので、それ以来、試験前はこの方法で暗記することにしました。もちろんその姿は家族に見られてはいけないので、独りで家にいる時だけしかできませんでしたが、本当に不思議なくらい短時間でしっかりと覚えられました。今思えば、この勉強法も『ソレ』が『私』に教えていたんでしょうね。。。もしかして、今はもうすでにこういう勉強法って定番になってるのかな??「アウトプットするほどインプットされる」という格言はよく言われるというか、もう擦られすぎている感もありますよね。。。

そうか、だから立花孝志や中田敦彦はホワイトボードで講義しながら気持ちよくなっちゃうのか。。。あれは自分で自分にデマを洗脳する効果もあるんでしょうね。最初はバカを騙そうと思ってデマを言ってたはずが、途中から自己洗脳によって、自分でもそのデマを信じるようになっているのでは???まず自分を洗脳しないと信者も洗脳できなそうだしな。。

話を戻します。

この本では、『ソレ』=『セルフ2』の定義として、
「筋肉」や「骨格」だけでなく、脳、意識・無意識の記憶力、神経システムを含めた存在
とか
素晴らしい賢さと潜在能力の集積体
とか
生まれつき内在する内側の知性
などと説明されています。
う~ん、わかったようなわからないような。。。
確かに『ソレ』は、 “動物的な本能”などと一言で定義できるものではないです。もっと賢くて高次元な感じがします。だからといって全知全能の神とは程遠いものです。『ソレ』は結構間違えるし、ミスを修正しながら学習します。ただし学習のスピードは『私』が邪魔をしなければおそろしく速いです。体感としてはAIに近い感じがします。いや、AIよりももっと賢いかな。。。AIは過去とだけつながっているけど、『ソレ』は未来ともつながっている感じがします。あくまでも体感だけで証明はできませんが。。。
スポーツや音楽などでゾーンに入ったことがある人には伝わるかもしれません。あるべき完璧な軌道に身体の動きが勝手に吸い込まれていくような感覚ですよね。時間が止まりますよね。過去も現在も未来もそこにありますよね。まあそんな感じです。
あと『ソレ』は勝ったり称賛されたり1位になったりすることに全く興味はありませんが、本気になれば勝つのは得意です。さらに、他人に教えたり他人を助けるのが好きです。誰かのためになることで本領を発揮します。ただし人間社会レベルでの善悪の基準は持っていないです。そういうところも高次元な感じがします。
スピ界隈では、高次元を旅する際に身体が邪魔だと思っている人たちがたくさんいます。でも、物理的な身体を伴っても高次元は探求できます。その成果も目に見えるのでわかりやすいですよ。もちろんNO薬物です。

それにしても、欧米人って、神秘的な思想を実践的なレベルにまで落とし込むのが得意ですよね。その過程で肝心なことが削ぎ落されているような気もしますが、そのおかげで一般人にもとっつきやすくなって間口を広げてくれるのでありがたいです。自分にもできるかも!という気持ちにさせてくれる良書です。