第3巻に引き続き、第4巻からの抜粋です。このシリーズ、やはりわかりづらくて需要がないのか、絶版になってしまってますね。これまでの復習も兼ねて、この最終巻からはなるべくたくさん抜粋したいと思います。
________________________________________
p30
近所づきあいでは、たとえば、騒音は一番の問題である。あなたが気にすればするほど、騒音は一層しつこくつきまとってくる。けれども、静寂や平穏は、あなたにとってだけでなく、あなたの隣人たちにとっても、最適な生活条件だ。それが確保されていれば、消費エネルギーは少なくて済む。静寂や平穏を乱すというのは常に異常なことであり、それはエネルギーの何もないところでは起こりえない。いったいどこからそんなエネルギーを持ってくるのか。
隣人たちからの騒音でバランスを崩したあなたは、彼らを憎む。あなたの腹立たしさこそが、エネルギーの源泉なのだ。依存関係が生じ、分極化を引き起こす。「あんなに騒々しい奴らなんか大きらいだ!」という激しい感情が強力な磁石を作りだし、それがあらゆる新たな苛立ちの素をあなたのほうへと引き寄せる。
(中略)
自分にも他人にもあるがままでいることを認めてあげる、というトランサーフィンの基本的な決まりを守るだけでよいのだ。世界を解放して自由の身にし、どこへなりと好きなところへ行かせてあげればよいのだ。自分で固く握りしめているものをゆるめよう。
あなたが自分の願望や要求に固執しようとすればするほど、あらゆる正反対のものを引きつける磁石はますます強力になる。あなたは世界の胸ぐらを取るが、世界のほうは解放されようとして抵抗するのだ。
(中略)
たとえば、ある程度の時間でよいから、隣人たちのことを頭から追い出し、彼らを非難するのをやめ、彼らが単に存在しないというふりをしてみよう。「あいつらなど、知ったことか!」と自分に向かって言ってみよう。彼らを自分の世界の層から放り出すだけのことだ。
________________________________________
p57
自分がありのままでいることを認めるということは、自分の不完全な部分すべてをひっくるめた自分を受け入れることを意味する。他者がありのままでいることを認めるということは、自分の期待を他者に投影するのをやめることを意味する。
繰り返しておこう。必要なのは、振り子の決まりと縁を切り、それをトランサーフィンの決まりに置き換え、フレイリングの第一法則※に従って、自分の意図を送る、ということだ。
※「受け取る意図を断念し、その代わりに与える意図を持とう。するとあなたは受け取りを断念したはずのものを受け取ることになる」
________________________________________
p76
長い間、構造にすっかり支配されている人は、ほとんど意識の欠落した状態にあり、魂の声に耳を貸そうとはしない。従って、その人は自分本来の道を探し出せず、構造の幸せのために一生平身低頭して過ごす。
私はその人本来の道が構造の外にあるのだと言いたいのではない。山中にこもり、振り子の世界と絶縁することは可能だ。けれども、もしそこでの生活も覚醒状態のままで無意識に見る夢のように続くとしたら、結局、何も変わらないだろう。
構造の中に踏みとどまりながら、自分の運命の主になるための話をしているわけである。そのためには、ただ目を覚まし、舞台から立ち去ることなく、そのゲームを観客の目で眺めてみるだけでよい。すると、誰が振り子の寵児で、誰が「ひょうきんもの」や「お調子者」なのか、また誰が決まりに従っている信奉者なのか、すぐに見えてくる。
だからといって彼らを非難してはならないし、軽蔑するのはもってのほかだ。もし、ものごとの在り方を認識した結果として、自分を「眠っている者」と対置し始めると、依存関係が生じ、分極化を招き、「目覚めた者」がはみ出し者にされることは絶対に避けられなくなる。振り子の決まりと縁を切るだけでは不十分であり、それをトランサーフィンの決まり、「自分にも他者にもあるがままでいることを認める」に置き換えなければならないことを必ず覚えておこう。
すると、自分のなかに拠り所を見つけることができるのだ。周りで起こっている事態を理解することで、すでに半分はやり遂げたも同然だ。状況を理解しているだけでも、自分への穏やかで揺るぎない自信が生まれる。なぜなら、自信のなさは、不確実性を前にした恐怖感から生まれるためだ。人がゲームの決まりを知っていないと、取り巻く世界は恐ろしくて敵意に満ちたものに思われてくる。そうなると、沸き起こってくる孤独感や抑圧感といった感情がその人を眠らせてしまい、振り子の決まりに従属せざるを得なくする。 続きを読む リアリティ・トランサーフィン 第4巻(その1)