どんな小さなシグナルも、動作も、痛みも投げ捨てないでください。
もしあなたが小さな痛みを増幅せず、プロセスしないならば、それは身体の別の箇所、あるいは別のチャンネル―たとえば人間関係―において、ふたたび現れることでしょう。
情報は取り除くことができないのです。それを追っ払うか、あるいは無視することができたとしても、それは一時的なものです。
身体感覚に注意を払わないでいると、病気を患う可能性があります。
瞑想は病気をその初期段階においてつかまえる有効な方法です。
しかしながら、「自覚」のもつ癒しの力をプログラム化しないでください。
それは万能薬ではありません。ときには、自覚を手放すことが重要なこともあるのです。
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パスワーク(その2)
(その1)に続いてさらに抜粋。太字原文ママです。
p170
この成長期に、未熟な感情は表現されなければなりません。その重要性を理解するために「未熟な感情の表現」を自分に許したとき、そうした未熟な感情がもはや必要ない地点にようやくたどりつけます。これは意志のプロセスを通しては起こりません。いまだ感情的な自己の一部をこらえるような客観的なマインドの決断によっては起こらないのです。そうではなく、感情が方向や目的、強さ、性質を自然に変えるような、感情的成長の相互的なプロセスを通して起こるのです。そしてこれは、今あるままに自分の感情を体験する場合にのみ起こるのです。
p172
建設的な目的と破壊的な目的との区別をつけようとしてください。感情をあらわす目的を意識しようとし、本当に感じていることへの気づきを自分に許して、意味あるときに、それを表現する勇気と謙虚さを育ててください。そうすれば、「単に抑圧から解放されたいと思い、目的や意味もないままはけ口を見つけようとして未熟で破壊的な感情をあらわにすること」と、「かつて存在し、今でも存在している感情を再体験するのを意図した行為」とのあいだには、きわめて大きな違いのあることがわかるでしょう。感情的経験に適切に吸収されずに抑え込まれてきたものは、現在の状況に絶えず活性化されます。それはまず、そのような経験の未消化を起こした最初の「解決策」を状況によって何らかの方法で思い起こすことなります。
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パスワーク(その1)
何度も読み返したい本です。
内容は、「自分の現実は自分で創っている」「不快な出来事は過去の傷の再生」「二元性を超えなければ平安は得られない」など、スピ系や深層心理学でよく言われているようなことなのですが、何故か言葉が深く刺さります。やっぱりそうなのか…と納得させられ、こういう知識はあるものの、完全に疑っていた自分の心が明らかになりました。
本当に自分でこの現実を創っているなんて、認めるのは至難の業です。生きていれば、理不尽なことは必ず起こりますからね。深いところで本心からこのことを認められるようになれば、確かにすごいことになるよなぁ。。と思いつつ、でもこれが全部嘘でこの著者も詐欺師の一人かもよ。。とささやく思考の声も常にあります。
かなり衝撃を受けたので、この本のワークブックにあたる『防御なき自己』も買って読んでみたのですが、こっちの方はあまりピンときませんでした。ただ、レビューの評価は高いので、合う人にはすごく合うんでしょう。
個人的には『パスワーク』の方を、トランサーフィンシリーズと合わせて、何度も読み返したいと思います。
以下は響いたところ。太字原文ママです。
p74
では、どうすれば遠い昔の傷を再体験できるのでしょう。
方法はたった一つしかありません。まず現在の問題を取り上げてください。そして、その問題の上に重ねられている、自分の反応の層をすべて取り去ってください。
最初のもっとも扱いやすい層は合理化の層、つまりほかの人や状況に責任があって、自分の心の深奥の葛藤にあるのではないと「証明」している層です。実際には、内なる葛藤のせいで、現在直面している問題に間違った態度をとってしまうのですが…。
次は、怒りや恨み、不安、苛立ちの層です。こうした反応の背後には、愛されなかったがゆえの傷が見出されるでしょう。今葛藤に陥り、愛されないために傷ついているなら、その傷は子供時代の傷に再び気づくのに役立ちます。
(中略)
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