別の未来、別の過去の選択ということなんだけど、選択というのは、肉体人間の立場から書かれている。
本質的には選択するんじゃなくて、流れそのものになるんだ。流れそのものになったとき、肉体人間の側から見れば、あたかも、自由に選択したように見える。
で、絶対の自由というのは、絶対の不自由。例えばね、絶対の自由というのはさ、チューリップはチューリップとして咲くこと。ひまわりはひまわりとして咲くこと。桜は桜として咲くこと。だから、それは絶対の束縛でしょ。自分の与えられた流れは桜かもしれないし、それとも雑草かもしれない。でもそれを咲くことだ。
だからそれは、絶対の自由であり、同時に絶対の不自由。ところが、頭で理解した自由というのは、そうじゃない。桜のくせにチューリップになりたがったり、なれると信じ込んじゃう。そういうこと。でもそうじゃない。一番自分にふさわしい流れというのは、既にあるんだ。その流れに自分が一致した時、そして一致させるためには、素直になることだ。一致した時、ほんとにその人は安らぎを得る。
そういうわけで、別の未来、別の過去ということは、あなたがあなたに忠実になったということ。