長い目で見ると人で構成されたユニットの中で、どのメンバーが強いとか弱いとかいうことは意味をなさなくなる。
一見「弱い」方には、無尽蔵とも言える二次プロセスの力が眠っている。そうした人の無意識には、巨大な岩さえも粉々にできるほどの、いわば「魔法」が備わっている。
弱い方のメンバーは強い側のメンバーの不動の地位を少しずつ崩していく。
これに対して強い側は、傷つきや嫉妬、恐れといった感情を表現できるほどには強くないため、痛みを伴う事実を扱う場合、まるでコンピュータであるかのようなペルソナをつけて弱いメンバーを煙に巻こうとする。それによって、初め、強い側が争いに勝っているように見える。というのもその人が、冷静沈着という社会的に受け入れられやすい一次プロセスを装っているからである。
しかし、弱い方が、実は最終的に物事の結果を左右する全能とも言えるような二次プロセスを担っているものだ。
弱い方が当初けんかに負けていたとしても、勝者・敗者という判断は幻想にすぎない。人生ゲームにおける「勝利」は、復讐と憎しみとを宿したダブルシグナルを受け取るという痛みを伴う。小説や映画はハッピーエンドを描くが、始まりと終わり、勝者と敗者、問題と解決というものは一次プロセスの幻想にすぎない。
アーノルド・ミンデル
『人間関係にあらわれる未知なるもの―身体・夢・地球をつなぐ心理療法』
※プロセス
「私は○○な人です。」と思っている自分=自分のアイデンティティに比較的近いプロセスが「一次プロセス」、その反作用をもつプロセスが「二次プロセス」。例えば「自分は思いやりがあってやさしい人」という一次プロセスは、無意識の中に「冷たくて厳しい人」という二次プロセスを生む。
フロイト派の一次過程、二次過程とは異なり、むしろユングの使用したNo.1パーソナリティ、No.2パーソナリティに呼応する。