(その1)の続きです。太字原文ママです。
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p176
危惧と異なり、願望はそれほど簡単には実現しない。なぜなら願望において魂と理性が一致することはまれだからだ。魂は理性に反対する。その理由は、理性が振り子たちの影響に屈し、他人の目的に向かおうとするからだ。理性のほうはというと、自分の本当の望みを認識していないか、あるいは、そのような望みの実現を信じていないかのどちらかなのだ。
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p179
ベネチアの鏡職人たちには独自の秘密があった。彼らは、アマルガム――――反射面をコーティングするメッキ――――に金を混ぜていたことから、反射スペクトルが温かな感じを帯びるのだった。
同様の方法で、二元鏡の一部を特別に自分のために改良することができる。自分の世界の層を居心地よく整えるためには、自分独自のアマルガムを作りあげるべきだ。世界の層は、数多くの反応――――本人の自分自身への接し方、および取り巻く現実の何らかの現象に対する態度――――からできあがっている。こうした関係のスペクトルから、支配的な基調色を定めている一本の主要なスペクトル・ラインを取りあげてみる必要がある。
支配的な基調色としては、たとえば「世界は私のことを気遣ってくれる」というフレーズを選んでみてもよい。人はきっかけさえあれば、待ってましたとばかりに不満という形で自分の態度を表してしまうが、好ましいことに対しては、当然のこととしてほとんど無関心に受け入れる。人は習慣からカキ貝のように自動的に反応し、そのような態度を無意識に取っている。
さあ、ここでカキ貝よりも一段上に昇り、目を覚まし、意識して接し方を選ぶという自分の優位性を活用してみよう。支配的な基調色に従い、自分の現実認識を目的にはっきり向けて同調させよう。すると、鏡が反応するのを目の当たりにするだろう。これでリアリティを操縦する道への第一歩を踏み出したことになる。
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p183
ところで、すべてを元通りに取り戻すことができるのだ!屈託がない暢気な気分も、幼い頃のアイスクリームの味も、新鮮味の感覚も、よりよくなることへの期待感も、生きていることの喜びもである。取り戻すことは簡単なことである。それは信じがたいほど簡単なのだ。信じられなくても、試してみよう。もし現実への接し方を自分で意識的にコントロールするならば、世界の自分の層を一新することができるということは、誰も思いつかないのだ。取り巻く世界は、世界に対するあなたの見方どおりになっていく。これは、人生を楽観的に見つめようなどという空虚なスローガンではなく、自分のリアリティを形成するための具体的な仕事なのだ。
この瞬間から、何が起ころうとも、自分の態度をコントロールすることにしよう。現在が思っていたほど良くなくても、問題ではない。
(中略)
そう、あなたが世界に冷たく接したときから、世界は大きく変わってしまったのだ。
(中略)
しかし、鏡が変化することはあり得ないように、世界も変化していなかった。変化したのはあなたの接し方のほうであり、あなたの思考の反映であるリアリティがあなたの態度に従ったまでのことなのだ。
さあ、ここで目を覚まし、両目を見開き、ベッドから身を起こし、周りを見回してみよう。そこは、遠い昔、あなたを気遣い、共に楽しく時を過ごしたことのある、以前の世界である。あなたがようやく幻想から抜け出して我に返ったことを世界はどれほど喜んでくれることか。
さて、これであなたと世界は一緒になり、すべては元通りになるだろう。この古くからのつきあいのある献身的なしもべを、自らの好ましからざるふるまいによって傷つけることだけは二度としないように願いたい。肝心なのは焦りは禁物ということだ。なぜなら、鏡の第三法則によれば、元通りの状態に戻るまでには、時間が必要だからである。最初のうちは忍耐と自制があなたに求められる。自分のリアリティを形成するための具体的な仕事を行っているのだと承知していなくてはならないのだ。
具体的な仕事とは次のようなことである。どのような状況に出くわそうと、たとえそれが取るに足りないことであっても、良いことであれ、悪いことであれ、どんなことが起ころうとも、常にアマルガムのフレーズを自分に繰り返してみよう。もし幸運に出会ったら、世界は本当にあなたのことを気遣ってくれている、と自分に繰り返すことを忘れてはならない。些細なことのひとつひとつにおいて、これを確認しよう。腹立たしい状況と遭遇したら、それでも、意図の調整(コーディネーション)の法則に従って、万事うまく行く、と繰り返してみよう。
状況がどうなろうとも、あなたの反応は――――世界はいずれにせよ自分のことを気遣ってくれる――――というように、一様でなければならない。もしあなたに幸運なことが起こったら、そのことに特別な注意を払おう。また、もし不運に見舞われたら、意図の調整の法則を守れば、あなたは幸運な人生ラインに踏みとどまっていることだろう。なにしろ世界が、どんな不快事からどんな方法によってあなたを守ってくれたかについて、あなたは知ることができないのだ。世界を信頼してあげよう。
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p188
また、新しく自分のアマルガムを考え出してもよいし、それがいくつか出てきてもよいのだ。繰り返すが、大事なのは、忍耐心を発揮し、機会あるごとにアマルガムのフレーズを倦まず弛まず確認することである。辛抱が必要なのは習慣が根付くまでの最初のうちだけのことだ。その後は順調に行くだろう。
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p204
自分がリアリティを操縦できることを知っているだけでも、気分は遥かに高まる。あなたは自分の意図によって自分のリアリティの色調を選ぶ。状況いかんにかかわらず、あなたは気分を快活な方向に持っていく。それを意識的に行い、外部からの刺激には単純に反応したりしない。こうした習慣を身につけることが不可欠である。気分を高めるにはスライドが手助けしてくれる。スライドはミュージック系やビジュアル系など、好みの様式にしてよい。あなたの目的が達成され、最高の気分を味わっている光景であることが理想的だ。
その一方で、しばらくの間、あなたの世界の層では何の変化も見られないことを覚悟しておいてほしい。あるいは、反対に、まるで面当てのように、ありとあらゆる不快な出来事が起こるだろう。いったいどうしたというのか。それはすべてリアリティとの接し方の新たなレベルへの「移動」と関係した一時的な不具合なのである。なにしろ、ご承知のように、鏡は遅れて働くのである。
(中略)
新たな決まりを作ろう。世界の鏡は眺めるのではなく、さらりと見よう。良いところを探し出し、悪いところは無視する―――――すべてこのフィルターを通すものとする。受け取りたいものに注意を集中しよう。以前のあなたはどうしていただろうか。「私は太っていて不細工だ。そんな自分が気に入らない」と言って、事実を確認していた。鏡はというと、「まさしくそのとおりです」と、そんな事実を一層確かなものにする。しかし、これからのあなたは違う課題に取り組もう。自分の中であなたが気に入っているところだけを探し出し、同時に、思考上で望ましい形(イメージ)を作ろう。この瞬間から、ポジティブな変化を探し出し、ますます多くのそうした変化を発見することだけを行うのだ。日を追うごとにどんどん良くなっていく。もしあなたがこの技法を定期的に実践するならば、驚きのあまり口をぽかんと開けてしまうようなことがまもなく起こるだろう。
一般的に言うと、まず態度を決め、その後で鏡を見るのであって、その逆であってはならない。
もちろん、そうしたことに慣れるには一定の時間を要するだろう。だが、このゲームはやってみるだけの価値があるのだ。今後、リアリティを操るのはあなたであって、あなたをリアリティが操ることはなくなる。物質的現実化の慣性を考慮すると、反映は徐々にポジティブなものへと変わっていく。あなたの世界の層では好ましいことが次々に起こるため、快活にふるまおうなどと自分に言い聞かせる必要もなくなってくる。
(中略)
信じる必要はなく、紹介した技法をただ実践してもらいたいだけなのだ。どうなるのかをあなた自身の目で見てみよう。
(中略)
本当に鏡の技法とは、その効き目をすぐに信じられるようになるほど、とても簡単なものなのだ。わたしたちは皆厄介な問題の解決には苦労がつきものと思っている。人々は、自分たちの思考が実際に現実に影響を及ぼすことができるとは信じてはおらず、そうした考え方をまじめに取り合おうとしないから、試してみようともしない。これが目に見える成果を上げられない第一の理由である。第二の理由は、よくある一貫性のない行動のことだ。通常、人々は何らかの考え方にすぐに熱を上げるが、その後はやはりあっという間に熱が冷めてしまう。なにしろ、奇跡はそう滅多やたらと起きるものではないのだから。一定の仕事を行う必要がある。
(中略)
思考イメージが物質的現実に定着するためには、それを定期的に再生しなくてはならない。言い換えると、目的を持ったスライドを絶えず頭の中で映し出す必要があるということだ。時たま実現するような役立たずの夢想と違い、こちらのほうは具体的な仕事なのである。
このようにして、あなたを鏡の反映と結びつける自分の感情をコントロール下に置くことで、あなたは鏡から自由になる。感情を抑えこんでばかりいてはいけない。感情というのはあなたの態度の結果に過ぎないのだ。態度そのもの――――反応の仕方と現実の受け止め方――――を変える必要がある。鏡から自由になったあなたは、自分の必要とされる反映をかたちづくる能力を手に入れる。言い換えると、自分の思考推移を制御することによって、あなたはリアリティを制御する。さもないと、あなたはリアリティに制御されてしまう。
リアリティの制御を行う際の強さには様々な程度があり得る。もっとも単純で簡単な方法はアマルガムである。アマルガムは快適さや幸運の全体的な雰囲気を醸しだすことができるため、ほとんどの場合、これで十分すぎるくらいだ。
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p218
力を手に入れる秘訣は、ぎゅっと握りしめているものを手放すことにある。人間の理性は、自分にとってほんのわずかでも予見できない状況や、自分のシナリオからの微々たるズレであっても、敵意をもって迎える。すぐその後には、きわめて当然であり、原始的でもある反応――――状況を修正する試み、すなわち異議を唱え、拒絶し、自分の主張に固執し、論争し、急激に動き、躍起になって何かを行うなどの行動に出る。総じて、理性は鏡による反映を捕まえ、自分の考えを貫こうとする。
もちろん、もし鏡に注意が釘付けになると、手を伸ばすだけでリアリティはすぐに屈するという幻想が生まれる。なにしろリアリティは目と鼻の先にあるわけだから。ところが、そうは問屋が卸さない。普通の鏡で遊んでいる何も知らない子猫は、鏡のまやかしに屈する。だが、一段上の意識を持つ人間もやはり同じ罠にはまってしまうのだ。違いは、二元鏡の幻想がもっと手の込んだものであるというそれだけしかない。
そんなわけなので、鏡から手を放して、世界が動くことを可能にしてあげなければならない。大抵の場合、積極的な行動をとることも不要だ。目の前の状況に柔軟且つ穏やかに従うだけで十分なのだ。「リアリティ・トランサーフィン」のシリーズ本からご存知のように、バリアントの流れは、もし邪魔が入らなければ、事象の推移を最適なルートに沿ったものに向ける。幼稚な理性は自分の考え方に固執して、水面を両手で叩きつけたり、流れに逆らって水を搔いたりしがちである。これからは、幻想から解放されるために、視野の狭い理性の意図を反対方向に向ける必要がある。理性には自分のシナリオを大胆に書き改めてもらおう。その内容にはまったく予見できなかったあらゆることを盛り込んでもらうのだ。こうした課題との取り組みは理性にとって不慣れなことであるが、それが子猫の役割から抜け出すことのできる唯一の効果的手段なのだ。
そこで、鏡の第六法則である。これは、握りしめているものを手放し、世界がバリアントの流れに従って進むようにさせる、ということだ。内的意図は自分が進みたい方向とは反対の方向へ進む結果をもたらすことから、次のような逆説が導かれる。それは、コントロールすることを断念すれば、あなたは状況をリアルにコントロールする術を手に入れる、ということだ。
あなたを取り囲んでいるすべてのものを、観察者の視線で眺めてみよう。あなたは芝居の出演者であり、同時に、周囲の状況におけるいかなる動きをも見逃すことなく、少し距離を置いて演技している。誰かが何かをあまりいただけないやり方でやっているようにあなたには思われる――――そうさせておいたらいい。状況が変化した――――警鐘を鳴らすことはない。変化を受け入れることにしてみよう。あなたが何に携わっているとしても。一番簡単なやり方で行動しよう。選択しなければならない事態に直面したら、より簡単なバリアントの方を選ぼう。
それは、あらゆることと全面的に折り合いをつけることを意味するのではない。目をつぶり自分の身を流れに翻弄されるがままにすることと、流れに従って意図的にすすむこととでは、大違いなのである。手綱をどこで締め、どこで緩めるかは、あなた自身がよくわかると思う。世界を解放してやり、その動きを観察しよう。
(中略)
覚えておいて欲しい。世界は現実に対するあなたの態度を非の打ちどころなく反射させるだけなのだ。映しだされる姿がどれほど暗澹たるものに思われようと、もしあなたがその反映に対してネガティブに接すれば、反映はもっと悪化するだろう。同様に、もしあなたが自分の意志で陰画(ネガ)を陽画(ポジ)だと宣言すれば、陰画は陽画に変わるだろう。いかなる状況や出来事も、あなたにとって望ましからぬポテンシャルと有益なポテンシャルとの両方を帯びている。そんな分岐点に立つあなたは、自分の態度を表明することにより、今後の事象の展開を――――幸運な方向にするか、あるいは、不運な方向にするか――――決定するのだ。
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(その3)へ続く