(その1)に続いてさらに抜粋。太字原文ママです。
p170
この成長期に、未熟な感情は表現されなければなりません。その重要性を理解するために「未熟な感情の表現」を自分に許したとき、そうした未熟な感情がもはや必要ない地点にようやくたどりつけます。これは意志のプロセスを通しては起こりません。いまだ感情的な自己の一部をこらえるような客観的なマインドの決断によっては起こらないのです。そうではなく、感情が方向や目的、強さ、性質を自然に変えるような、感情的成長の相互的なプロセスを通して起こるのです。そしてこれは、今あるままに自分の感情を体験する場合にのみ起こるのです。
p172
建設的な目的と破壊的な目的との区別をつけようとしてください。感情をあらわす目的を意識しようとし、本当に感じていることへの気づきを自分に許して、意味あるときに、それを表現する勇気と謙虚さを育ててください。そうすれば、「単に抑圧から解放されたいと思い、目的や意味もないままはけ口を見つけようとして未熟で破壊的な感情をあらわにすること」と、「かつて存在し、今でも存在している感情を再体験するのを意図した行為」とのあいだには、きわめて大きな違いのあることがわかるでしょう。感情的経験に適切に吸収されずに抑え込まれてきたものは、現在の状況に絶えず活性化されます。それはまず、そのような経験の未消化を起こした最初の「解決策」を状況によって何らかの方法で思い起こすことなります。
p174
子供時代や青春時代に果たせなかった成長期を経験すれば、感情がついには成熟し、単に意識の外に追いやるだけでは支配できなかった感情の力を恐れる必要もなくなります。感情を信頼できるようになり、感情に導かれるようにもなります。
(中略)
なぜなら、感情が破壊的で子供っぽい状態では直感を信頼できないので、そうしたことは習慣としてなり得ないからです。あなたは感情を成長させないようにしています。ですから感情は二次的な有効性しか持たず、もっぱらマインドの能力によって生きています。
(中略)
痛みを感じながらも、最初に現れるネガティブな感情を解放した後には、有害なものが、自分にも人にも破壊的でない形で自分の言動の型から去ってしまったことに気づき、ある種の安堵を覚えるものです。こうした洞察と理解を得ると、ネガティブな感情を抑え込んでいるうちは表現されなかった、暖かくてよい感情が、新たに沸き起こることでしょう。純粋なよい感情と、「こうあらねばならない」という、理想的な自己像を維持しようとして付け足している“偽りのよい感情”とを区別できるようになります。
p191
本来の感情や過去から引きずっている感情を体験すればするほど、正当な欲求はどんどん満たされます。本来の欲求が満たされず、痛みを感じたことを認めなかった結果として偽りの欲求は生じたわけですが、感情を体験するとは、こうした偽りの欲求を見つけ出して手放すことを意味するのです。
p205
成長が部分的に阻まれているとき、あなたは内奥にある豊かな感情の源を利用できるようにしてくれる親代わりの人物がやってくるのを待っています。あなたはそうした楽しい気持ちを知っているし憧れてもいますが、自分がもはや、そうした感情を積極的に感じたり表現したりするうえで誰かの許可を得なければならない子供ではない、ということがわかっていないのです。
p213
真の自己を解き放つには、人生で最も縛られており、最も不安をおぼえている領域を探すべきです。ひどく縛られて、恨みを抱き、恐れて、弱く、自分自身でいられないとき、「人に与えてもらいたいものは何か」と自問してください。首枷を実感してみてください。自分で手に入れなければならないものを人から得ようとするのをやめたときのみ、この首枷ははずせます。人から貰いたいと思っているものを一つ一つ、簡潔な言葉にしてみてください。するとだんだん手放せるようになってゆきます。
(中略)
犠牲やあきらめは全く必要ではないことをはっきりと理解していただきたいと思います。必死になって外側の源に圧力をかけたところで、ほしいものや実際に手に入れなければならないものは獲得できはしないと言いたいのです。強調点を変える必要があります。間違ったレベルで勝たなければならないと思っているなら、本当に勝つことはできません。エゴのレベルで負けることができれば、真の意味で勝利します。そのとき、考えられるあらゆる力が存在している自己の核に、必ずや到達できます。自分にとって都合がよいかどうかにかかわらず、ありのままでいる権利を人に与えるとき、自分自身の勝利も本当に見つけ出せるようになるのです。
こうした権利を見つけ出すのは、着実な成長のプロセスです。自己を裏切ったり貶めたりしないようになると、このプロセスはあらわれ始めます。虐待されないための、本物の効果的な防御法を見つけられるようになり、それを心地よく感じるようになるのです。その後、喜びや幸福に対する自分の権利が、絶えず拡大しつづけているのに気づくようにもなります。自分が本来可能であった人生のヴィジョンに近づいていることが、つまり、存在するとは夢にも思わなかった可能性に近づいているのがわかるでしょう。にわかに、楽しむことを自分に許すようにもなります。
p225
「こんなことは経験すべきではなかった。そんな必要があるだろうか。他の人に、いろいろと問題があるんだ。そうでなければ、今、こんな経験をしなくてすんだはずだ」などという内なる態度をとってこのプロセスを否定していると、苦しみを長引かせてしまいます。
(中略)
歓迎できないことが起きたとき、自分がひそかに抱えている間違った先入観や破壊的な反応を最初に疑ってみる習慣を身につければ、そして真実や変化に完全に心を開いているなら、人生は劇的に変化するでしょう。比例して痛みを感じることはだんだんと少なくなり、喜びがますます自然な状態となってゆきます。
(その3)へ続く