リアリティ・トランサーフィン 第4巻(その3)

(その2)の続きです。太字原文ママです。
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p222
いかなる状況であれ、たとえそれが最悪の状況であっても、もしあなたが鏡の第七法則――――鏡のどんな反映もポジティブなものとして受け入れる――――を実行すれば、最終的には常に勝利を収めるだろう。たとえ何があろうとも、それがあなたにとって幸福か災厄かを正確に知ることはできない。自分にとって好きな方を選ぼう!
このほか、何事も首尾よく運んでいるときには、それを当然のこととして平然と受けとめたりしてはならず、すべてが素晴らしく進んでいることに注目し、喜んで迎え入れることが必要だ。何があろうと、万事順調にいく。これはみなさんご存知の意図の調整(コーディネーション)の法則にほかならず、その効果の程は、「リアリティ・トランサーフィン」シリーズのなかで詳細に述べてある。
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p237
あなたが全世界を変えることはできないだろうが、この世界のあなた固有の層は自由になるのだ。そのためには、自分を変える必要はなく、支配者としての自分の権利を行使するだけで充分である。
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p245
自分にはエネルギーが少ないから、どこかでそれを補給しなくてはならないと思われるかもしれないが、そうではない。本当は、エネルギーはたっぷりあるのだ。なにしろ自由エネルギーは宇宙からやってくるわけで、それをあなたは好きなだけ掴み取ることができる。実は、すでにあなたはエネルギーをもらえるだけもらっているのだ。エネルギーはどこへも消え失せることはない。ただすでにそれは目一杯利用されている。種類の異なる二つの重荷を背負うために、膨大な量のエネルギーが消費されているのだ。
重荷とは、まず第一に、あなたが自分に課した義務と制約である。次のような情景をイメージしてみよう。あなたは何かを実行する義務を自分で担った。すぐにあなたは大きな重りをぶらさげたと感じる。また、自分に何らかの条件を突きつけた。もうひとつ重りが増えたことになる。何かを自分や他人に約束したら、またひとつ重りが掛けられた。あなたの首にはいくつの重りがぶらさがっているのだろうか。重りがそんなに多くないうちは、暮らしていける。だが、そのうち重りが重すぎて持ち上げられないときがやってくることだろう。そうなると、挫折に見舞われる。窮地に追いつめられた者は病気になったり、スランプに陥ったり、災難に遭ったりする。そんな人は不信感をいだき、警戒心を募らせながら、緊張した面持ちで世界を見つめる。その結果、思考の反映としてのリアリティは本当にますます暗い色調を帯び、不運な黒い帯へと入り込む。この黒い帯はだいぶ長く続くかもしれない。
二番目に挙げられるのは、過剰ポテンシャルというお荷物だ。様々なことに過度に重要な意義を与えることによって、あなたは自分で自分に計り知れないほどの負担を掛けている。それは持ち上げることのできない山のような荷物だ。
劣等感:私は「剛直果断」でなくてはならないし、自分の存在意義を守り、高めなくてはならない。
罪悪感と責任感:私は自分の罪を埋め合わせ、義務を果たさなければならない。
問題難度の過大評価:私には大きな仕事が控えている。
このほか、疑念や不安も絶えず心に重くのしかかる。
(中略)
このようにして、ほとんどの自由エネルギーは、負担ばかりかかって実現されない――――潜在的な――――一連の意図(計画)に対して費やされていることになる。せっかくの資源を解放してやるには、潜在的な意図の一部を放り捨てるか、またはそれらを実現させてやることが必要だ。
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p259
子どもたちの場合は、エネルギーがこんこんと湧き出てくるが、制御不能であり、無駄に空間に散らばる。同様に、もしあなたが自分の意図のエネルギーを高レベルまで引き上げても、エネルギーに明確な目的を与えないと、何の役にも立たない。一般的なランプは近いところしか照らさないが、収束されたレーザー光線は何キロ先までも届くのと同じだ。だから、もしあなたが自分のエネルギーに仕事をしてもらいたいのなら、目的への明確な方向性をエネルギーに与える必要がある。
明確な目的を持つことにより、意図のエネルギーは決まった方向へきちんと送り込まれる。必要なのは、集中力であって緊張ではない
(中略)
リアリティを操るには、自分の思考をコントロール下に置かなくてはならない。最初のうちは、そのために多少集中する必要があるが、その後は習慣化する。
そうした習慣を身につけるには、簡単な決まりをひとつ守れば十分である。それは、今この瞬間に自分は何をしているか、考えてみる習慣をつける、ということだ。深く考えることなく制御不能の思考の非結晶の粘っこい半液体のなかでただ泳ぎ回っているあなたは、何もしていない。意図を宣言するのだ。これがいつもいの一番に準備しておくべきことというわけではない。思考を好きなように漂流させてみよう。但し、もし私の理性がさまよい歩くにしても、それはそのように私が許しただけのこと、という原則に従って、それを意図的に行うのだ。また、必要となれば、やはり意図的に意識を集中させる状態に戻ってこよう。
要するに、あなたの思考の形(イメージ)が、二元鏡に映し出して欲しい光景の大部分を含んでいるようにするということだ。こうすれば、目的を達成するには、必ずしも世界と一体化するという本来あるべき理想的な状態になくても、目的を持ったスライドに定期的に意識を固定するだけで十分となる。自分の思考の推移を制御することで、あなたはリアリティを自分の意志に従わせる
思考がしばしばコントロール下から逸脱しても、大したことではない。大事なのは、目的を持ったスライドの軌道へと自分の思考を戻してやる習慣を身につけることにある。あなたが思考を習慣的に何度でも目的へと戻すようになると、スライドはいつも一緒の道連れとなり、スライドの像は常に背景の一部となり、また、あなたに起こるあらゆる出来事の文脈の一部となる。このような場合、あなたは疑念を抱かずにいられる。すると、形(イメージ)が作られ、世界の鏡はそれを必然的にリアリティに映しだしてくれるだろう。
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p265
クズのようなこんな連中のなかでも最も破壊的なのは、罪悪感である。それをあなたが意識していようがいまいが大した違いはない。世界は自分を罰する、侮辱する、まるであざ笑うかのようにふるまう、服従させようとする、というようなことをあなたが自覚するのなら、それはつまり病気の兆候が顕著に現れているということだ。そんな病気は蹴り上げて追い払おう。
(中略)
罪悪感は非常に深いところに植え付けられているため、それを抑制することはできず、それから解放されることも不可能なのである。魂と理性は、非常に長い間、「いつも何かに義務を負っている」ような気持ちをいだきながら暮らしてきた。そのため、こうした状況から引っ張り出してあげるためには、具体的な行動によるしかないのだ。
それは、釈明をやめるということだ。これは、結果として罹った病気を治療することが、原因を取り除いてくれることになる一種独特なケースである。あなたには、誰にも何に対しても義務を負っていないことを自分に納得させる必要はない。ただ自分のいつもの行動を見守ろう。そのために求められるのは意識性である。もし以前のあなたに些細な事でも謝ってしまう習慣があったなら、これからは別の習慣を身につけよう。それは、本当に必要とされる時だけ、自分のふるまいを釈明する、というものだ。
あなたが義務を背負っていないことを自分に納得させる必要はない。罪悪感は心の中に残しておけばよい。だが、外に向かってそれを示してはならない。人形遣いたちは、以前のような見返りをあなたからもらえなくなり、徐々に姿を消していくことだろう。それとともに、魂と理性は新しい感覚に少しずつ慣れていく。それは、あなたが釈明しない、ということは、どうやらこれでよかったらしい、つまり、あなたの罪は元々存在しなかったということだ。その結果、「贖罪」のための口実は減っていく一方となる。こうして、フィードバック回路により、外形は少しずつ中身を整えていき、罪悪感は消え、それに続いて罪悪感と関係した問題もなくなることだろう。
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p270
たとえば、あなたは大学に進学するため、首尾よく選抜試験を通りたいと思っているとしよう。試験前に、自分に向かって「もしかしたら、不合格は自分にとっての成功かもしれないぞ」と言おう。その後で、朗らかに屈託なく試験に臨もう。これは敗北と折り合い、バリアントの流れに従って進むやり方である。あなたに求められていることを果たし、それと同時に、冷静に最終結果について考えるのである。あるいは、むしろ、どのような結果でも大成功だと思う、というべきだろう。
目的を達成したくないという「ふりをする」必要はない。自分を騙そうとしてもうまくいかない。どのようにして目的が達成されるかについては考えず、自分のシナリオに固執しないことが必要だ。あなたのすべきことは、スライドの視覚化作業を実行し、目的とする方向に足を運ぶことである。理性のコントロールは、シナリオではなく、鏡の法則を守ることに向けられるべきだ。
もし何があろうと成功があなたを待っているのであれば、何を怖がるというのか。自分の態度を陽画(ポジ)の方向にするか、陰画(ネガ)の方向にするか、決めるのはあなたなのだ。誰もが自分の失敗に対して一様に否定的な態度を取る習慣を持っている。そのため、成功とは勝ち取るのがむずかしいものだと定義されているゲームの決まりに屈するしかなくなる。だが、その場に不相応の対応――――失敗を成功なのだと命名すること―――――を行ってみよう。すると、あなたは皆が属している隊列を離れることができ、勝利は確実なものとなるだろう。
ここで、罪悪感や存在意義の場合と同様に、フィードバック回路が働く。注意を鏡から形(イメージ)に切り替え、反映を追いかけることをやめると、あなたは鏡の環を止めることになる。成功を信じたり、自分を説得することは、あなたには不要なのだ。必要なのは、鏡の法則を守る方向へ意図の向きを変えることだ。法則が作用し始めると、リアリティに明らかな変化が起こっていることに気づくだろう。あなたの理性は、鏡が本当に働いていることを納得する。理性がイメージした方法とはまったく別の方法で成功が達成されようとしていることを、ついに理性も理解するのだ。その結果、魂と理性は安堵し、恐怖と疑念は消え失せ、鏡の環はあなたに向かって歩み寄ることになる。
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p274
しかし、もし今のあなたが鬱状態にあるのなら、まず最初にリアリティの歪みを直す必要がある。自分の世界の層をバリアントの空間の曇り領域から晴れ領域へと移そう。それにはどうすればよいのか。
すべての点で天才的とも言うべき、簡単な処方箋がひとつある。赤ん坊が泣いたら、どのようにしてあやすだろうか。赤ん坊は説得には応じない。赤ん坊と一緒にしばらく時を過ごし、心配と同情を表して、注意を払ってあげることが必要だ。これと同じように、あなたの具合が悪いということは、あなたの内なる赤ん坊が泣いているということだ。思いやりを示してあげよう。私たちの多くはまじめで、立派で、毅然としているように見えても、本質的には、誰もが子供のままなのである。「メリーゴーランドに乗ってきてごらん」とは、つまり一番好きなことをやってごらん、ということを意味する。リアリティを矯正するために、特別なタイム・アウトを取ってみよう。その間、あなたは問題のことなど考えずに、ひたすら休息することだ。「私は自分の世界と一緒に散歩しているところ」。そのようにして時間を費やす必要があるのだ。なにしろ多くのことが世界の層に依存しているから、あなたの世界の層をきれいにしなければならないのだ。
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(その4)へ続く