パスワーク(その1)

何度も読み返したい本です。

内容は、「自分の現実は自分で創っている」「不快な出来事は過去の傷の再生」「二元性を超えなければ平安は得られない」など、スピ系や深層心理学でよく言われているようなことなのですが、何故か言葉が深く刺さります。やっぱりそうなのか…と納得させられ、こういう知識はあるものの、完全に疑っていた自分の心が明らかになりました。
本当に自分でこの現実を創っているなんて、認めるのは至難の業です。生きていれば、理不尽なことは必ず起こりますからね。深いところで本心からこのことを認められるようになれば、確かにすごいことになるよなぁ。。と思いつつ、でもこれが全部嘘でこの著者も詐欺師の一人かもよ。。とささやく思考の声も常にあります。

かなり衝撃を受けたので、この本のワークブックにあたる『防御なき自己』も買って読んでみたのですが、こっちの方はあまりピンときませんでした。ただ、レビューの評価は高いので、合う人にはすごく合うんでしょう。
個人的には『パスワーク』の方を、トランサーフィンシリーズと合わせて、何度も読み返したいと思います。
以下は響いたところ。太字原文ママです。


p74
では、どうすれば遠い昔の傷を再体験できるのでしょう
方法はたった一つしかありません。まず現在の問題を取り上げてください。そして、その問題の上に重ねられている、自分の反応の層をすべて取り去ってください。
最初のもっとも扱いやすい層は合理化の層、つまりほかの人や状況に責任があって、自分の心の深奥の葛藤にあるのではないと「証明」している層です。実際には、内なる葛藤のせいで、現在直面している問題に間違った態度をとってしまうのですが…。
次は、怒りや恨み、不安、苛立ちの層です。こうした反応の背後には、愛されなかったがゆえの傷が見出されるでしょう。今葛藤に陥り、愛されないために傷ついているなら、その傷は子供時代の傷に再び気づくのに役立ちます。
(中略)
現在の問題で受ける傷は、昔と全く同じ傷なのです。ですから、現在の傷を子供のころの傷と比べて再評価してみてください。ついには、それらが同じで、一つのものであることにはっきりと気づくでしょう。現在の痛みがどんなにリアルで、きちんと説明できるものであったとしても、同じ子供時代の痛みなのです。
もう少しすると、どれほど自分が、子供時代の傷を治したいがために、現在の傷を創り出すことに手を貸していたかを理解するようになるでしょう。
しかし、まずは、痛みの共通性を感じとるだけでよいのです。とはいえ、それにはかなりの努力が必要です。なぜなら、過去の痛みだけではなく現在の痛みにも、たくさんの感情が幾重にも覆いかぶさっているからです。今感じている痛みを具体的に把握できるようになるまでには、この点で、これ以上の理解を得ることはできません。
ひとたびこの二つの痛みを同調させ、それらが同一のものだと気づくことができれば、次のステップはずっとやさしくなります。そして、様々な困難に繰り返されるパターンを見つけることで、かつてあなたを傷つけた人々や現在の悩みの種になっている人たちと、両親のあいだの類似点を認識できるようになります。類似点を感情的に体験できれば、根本的な葛藤を解消する特別な道でさらなる進歩をとげることになるでしょう。
単に知的に理解してもメリットはありません。成果をあげ真の結果をもたらすには、傷の再創造を捨て去るプロセスは知的な理解を超えたものでなければなりません。何かを実現していないことによる、現在の痛みと子供時代の痛みを感じること、これを自分に許す必要があるのです。二枚のスライド写真のように、二つの痛みが次第にはっきりして一つに重なりあうまで、両者を比較するのを許す必要があります。現在の痛みと過去の痛みを実感すれば、内奥で「敗北」をどうしても認められないために現状を選択しなければならないと考えていたことを、ゆっくり理解することになるでしょう。いったんそれを理解すれば、今私がここで述べているような洞察や体験を得られるでしょうから、次のステップに進めるようになります。
(中略)
これらの感情をすべて体験し、「現在」と「過去」を同調させてはじめて、自分がどのように状況を正そうとしているかに気づけます。さらには、無意識の欲望がおろかにも子供時代の傷を再創造していること、そしてそれが失望に終わる無駄な行為にすぎないことがわかるようになります。この新しい理解と洞察とを持って自分の行動や反応を調べられるようになり、結果として両親を手放すことでしょう。自分の子供時代を本当の意味で過去に置いてくるので、新たな内的行動パターンを始められるようになります。そのパターンは、自分自身にとっても人にとっても、はるかに建設的で実り多いものとなるでしょう。
子供の時に支配できなかった状況を支配したいとは思わなくなります。考えもしないうちに内面で忘却と許しが完全に為されるので、今いるところから先に進めるようになります。
子供のころに必要としていたようには、愛されることを必要としなくなります。もう子供ではないのですから、別のやり方で愛を求めるようになるわけです。つまり、愛されるのを期待するのではなく、愛を与えようとします。しかし、これは常に強調しなければならないのですが、多くの人は自分が愛されるのを期待していることに気づいていません。子供っぽい、無意識の期待はあまりにもしょっちゅう裏切られてきたので、愛に対する期待や願望をすべてあきらめてしまうからです。言うまでもなく、これは真実でも健康的でもなく、単に誤解して極端に走っているにすぎません。
自己探求において新たな展望といっそうの理解を手にするには、この内なる葛藤についてのワークを行うことが誰にとってもきわめて大切です。最初のうちは、ここで私が語る言葉に接しても、たまにちらりとわかることがあったり、一時的に感情が揺れ動いたりするだけかもしれません。ですがそれは、必ず役に立ちます。自分自身をよりよく知り、ずっと現実的で、成熟した展望のもとに自分の人生を評価する扉が開かれることでしょう。


p87
もしみなさんが、いつも人の欠点を探すのに費やしている努力の半分もそそぐなら、みなさんは自分独自の因果法則との関連を理解するようになり、それだけであなたは解放されて、不正など存在しないことがわかるようになります。またそれだけで、人の欠点が引き起こした結果に悩まされているのは神のせいでも運命や不公正な世界の秩序のせいでもないとわかります。これまで、引き寄せていないのに起こったように見えていたことを、直接的か間接的かは別にして、それを引き起こしていたのは自分の無知や恐怖、プライドや利己主義であったと気づくようになります。自分が環境や他人の不完全さの餌食などではなく、本当に人生の創造者であることに気づくようになるのです。感情は非常に強い創造力です。なぜならあなたの無意識は、他の人の無意識に影響を与えるからです。この真実は、善悪、好き嫌いは別にして、自分が人生における出来事をどのように呼び寄せているかを発見する上で、おそらく最も役に立つでしょう。
ひとたびこの発見を経験すれば、神のイメージを解消できます。あなたは、自分が不正の世界に生きていると信じていたり、支配できない環境の餌食になるかもしれないと心配するあまり、神を怖れているのかも知れません。あるいは自己責任を拒絶して、やさしい神が寛大にも自分に代わって人生を導いてくれたり、決定を下してくれたり、自ら招いた困難を取り除いてくれるのを期待しているかもしれません。しかし、自分が人生の結果をどのように引き起こしているかを理解すれば、どちらの神のイメージも消し去ることができるのです。これは主な打開点の一つです。
(中略)
神を、他の数多のものの中の生命や生命力であると考えてみてください。また、最高の英知を与えられている電流と考えてみてください。その「電流」は、そこに、あなたのうちに、まわりに、そして外側に存在しています。それをどう使うかはあなたにまかされています。


p93
思慮深く、自発的で、指導的な知性である神は、あなたのために働くのではなく、あなたを通して働き、あなたのうちに存在しています。この微妙でありながら、決定的な違いについて理解することがとても大事です。
(中略)
神の要素をすべて持っているハイヤーセルフに意図して語りかけ、導きや霊感を求めるとき、そしてこの内なる働きかけの結果を体験するとき、「神は自己の内部に存在する」とわかることでしょう。


p116
自分が個人的に、どのように間違った戦いを始めようとしているのかを理解してください。間違った戦いは、いっそうの混乱と苦痛をあなたに与えます。どんなやり方で勝とうとしても、他人や自分が実際にコントロールできないことの多い環境に依存しているわけですから、失敗は避けられません。この不毛な戦いは、魂の中身を頑なにします。
(中略)
真の勝利が得られるような統一的な状態に入る唯一の方法は、間違った要求を手放すことです。人に勝ちたい、人と離れていたい、特別でありたい、正しくありたいなどといった要求を手放すことなのです。よいとか悪いとか、正しいとか間違っているなどと思っている状況であっても、すべての状況に善きものを見つけ出してください。言うまでもなく、これはあきらめることを意味しているわけではありませんし、怖がって屈服することや弱さを意味しているわけでもありません。それは人生の流れに乗ることを意味しており、好みに合っていようがいまいが、今のところ直接的には支配できないことにうまく対処できるようになるという意味です。自分が立っている場やこの瞬間に、人生が意味するものを受け入れるという意味です。
(中略)
必要なのは真実を認めることだけです。今すべきなのは、自分が見ている以上のことがあるかもしれないと認めるだけです。内なる中心におもむき、直感的に語りかけているメッセージに心を開いてください。メッセージを受け取ることを最も必要とするとき、それが可能であることを、この特別な瞬間に理解してくださるよう期待します。指針となるのは常に、最も不快に感じられるものであり、最も目を背けたくなるものです
幸福であってください。「自分はすでに持つべきものを持っているし、いるべき場所にいる」という認識にいたる、すばらしい道をたどりつづけてください。あなたは単に別の方向に目をやっているので、見ていないだけです。平和のうちにいてください。神のうちにいてください。


(その2)へ続く