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リアリティ・トランサーフィン 第2巻(その2)

(その1)の続きです。
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p228
魂と理性の一致を達成するためには、それを何で達成すべきか、つまり自分の目的を何にするのかまず特定する必要がある。そんなことはあたりまえと思うかもしれないが、これは決して些細な問題ではない。人々は何を欲していないかについては正確に知っているのに、自分の本当の望みとなると、きちんと説明することが難しいからだ。そのわけは、振り子が人々を自分の利益に従わせ、人々に偽りの目的を押しつけようとしていることで説明がつく。理性が魅惑的に見える蜃気楼の後を追い駆けようとしているのに、魂はまったく別の方向を向いているとしたら、魂と理性の一致などあり得るわけがない。
加えて、人々は振り子のための様々な仕事で多忙をきわめ、気苦労も多く、ただ単に腰を落ち着けて穏やかな気持ちで自分の本当の望みについて考えるということすらできない。特別に時間を割き、子供の頃、自分の魂は何を求めていたか思い出す必要がある。自分の魂は何を気に入っていたのか。何を欲していたのか。何に心を奪われていたのか。
(中略)
あなたが自分の目的について考えるとき、内的重要性や外的重要性はぬぐい捨てなくてはならない。
(中略)
目的について考えるとき、目的の持つ威光については考えないようにしよう。近寄りがたい高所に祭り上げられている目的を蹴落とそう。そうすることで、あなたは外的重要性を放り捨てることができる。目的について考えるとき、目的の達成方法については考えないようにしよう。そうすることで、あなたは内的重要性を放り捨てることができる。自分が快適な状態かどうかについてだけ考えよう。もし目的が達成されたならば、あなたは本当に嬉しいのだろうか。
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p234
唯一頼りになる解釈は、理性による決断に対する魂の不快だけである。 続きを読む リアリティ・トランサーフィン 第2巻(その2)

リアリティ・トランサーフィン 第2巻(その1)

第1巻に引き続き、第2巻からも抜粋しておきます。
このシリーズは独特の用語がたくさん出てきてややこしいのですが、特に紛らわしいのが第1巻に出てくる“内的重要性”“外的重要性”と、第2巻に出てくる“内的意図”“外的意図”です。これらは全く異なる概念です。
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p71
目的の達成に向けられた思考エネルギーは、願望、内的意図、外的意図の三つの形態で現れるということ、これまで明らかにしてきた。願望とは目的そのものに注意を集中することだ。おわかりいただけたように願望は何の力も持っていない。目的についてどれだけ思おうが、目的をどれほど望もうが、願望は何の力も持っていない。内的意図とは、目的へと向かう自分の進む過程に注意を集中することだ。これは作用するのだが、多大な労力を要求する。外的意図とは、目的そのものが現実化する様子に注意を集中することだ。外的意図とは目的がひとりでに現実化することをただ単に容認する。この際、目的の現実化のバリアントはすでに存在し、それを選択するだけだという揺るぎない確信があることはいうまでもない。目的は、内的意図によって達成へと向かわされ、外的意図によってその選択が現実化される。
内的意図は、「私がしたいことは、・・・」という常套句で特徴づけられる。外的意図は、「状況は・・・になる」または「結局・・・になってしまう」というように、まったく別の規則に従っている。
(中略)
夢の中での飛行は、まさに「私は飛ぶことになってしまった」という表現がふさわしく、「私は飛ぶことを要求する」というものではない。
内的意図は、まっすぐにがむしゃらに目的に向かう。一方、外的意図は、目的がひとりでに現実化するプロセスに向けられる。
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p78
どこで内的意図が終わり、外的意図が始まっているのか、境界を見定めることは難しい。意識が潜在意識と結びつき、調和し、融け合うときに、内的意図は外的意図に変わる。この境目は見極められない。これは自由落下の時の感覚や初めて自転車に乗るのに成功したときの感覚に似ている。だが、夢の中であなたが意図して宙に浮いたときの飛行感覚による説明の方がより近い。 続きを読む リアリティ・トランサーフィン 第2巻(その1)