リアリティ・トランサーフィン 第1巻

日記の方でも書きましたが、数年ぶりに読み返してみて、やっぱりそうなんだよなぁ…と深く共感。心に響いた箇所をまとめておこうと思います。

内容をひとことで言ってしまえば、「何事にも執着するな」ということで、古くからの教えやスピ系共通の考え方と同じなんですが、わかりやすいモデルでイメージを提示してくれています。


p96
もしあなたの思考が、ある感情を繰りかえすようなら、思考エネルギーが一定の周波数に固定されているため、あなたは振り子に乗っ取られた状態にあり、然るべき人生ラインへと移動することになる。そして、移動先の人生ラインでは、感情がそのように固定される対象がたっぷり転がっている。


p105
振り子があなたからエネルギーを引き出そうとしていることを思い出そうとするのは至難の業である。振り子の挑発に乗ってはいけない。バンパイアが独自の魔法を用いるのと同じように、振り子は刺激に対してネガティブに反応する人間の習慣を利用する。この箇所を読んだばかりでも、数分後に忌々しい電話の呼び出し音で読書が中断されると、いらいらして対応するかもしれない。しかし、思い出すという習慣をあなたが身につけようと心掛けたら、そのうちに、振り子からの挑発に対する免疫ができてくる。


p110
ゆれるのをやめた振り子のエネルギーは、いったいどうなるのか?それはあなたに移るのである。問題を処理したあなたは、前よりも快適になる。


p116
振り子は、人間が意識して行動しているならば、人間にとっての絶対的な悪にはならない。また、人間は振り子から完全に自由にはならない。問題は、どのようにして振り子の影響に屈することなく、自分の利益のために意識して利用するか、ということにある。


p132
ごく小さな喜びでもよいからしっかりとつかみ、あらゆるところで好ましい兆しを探し求めるのだ。少なくともそれは、退屈なことではない。あなたはトランサーフィンを行っており、意識的に自分の夢へと向かって進んでおり、つまり自分の運命をコントロールしているのだということを一瞬たりとも忘れてはならない。


p136
忌々しい状況に陥った時は必ず、振り子があなたをつかみ寄せようとしていることを思い出すよう学習するのだ。思い出しさえしたら、すぐに意識して選択できるはずである。自分のネガティブな感情をぶちまけて振り子にエネルギーを渡すのか、それとも振り子に何も与えることなく、それによって勝利をもぎ取るのか。二つのうちのどちらかを選ぶのだ。
(中略)
もしあなたがこうした手法を粘り強く実践すれば、そのうちに古い習慣が新しい習慣に入れ替わるだろう。しかし、習慣の交代がまだ起こらないうちは、振り子は事あるごとにあなたを引き入れようとしてくる。たくさんの腹立たしい事件が、当てつけがましくあなためがけて襲いかかってくるかも知れない。そこで諦めてはいけない。それらは不快なことであっても、まだ小粒な方である。もしあなたが屈することなく、思い出すことを身につけたならば、大変に感動的な勝利がもたらされることだろう。それは今にわかる。


p164
理想化するとは過大評価する、高所に祀り上げて称賛する、崇める、崇拝の対象を作る、という意味である。世界を創り、動かしている愛は、逆説的に聞こえるかもしれないが、それが本質的に冷静なものである点で、理想化とは異なっている。無条件の愛とは、所有権のない感情、崇拝なしの歓喜のことである。別の言い方をすれば、それは、愛する者と愛される対象との間に依存関係を作らないということにある。
(中略)
愛はポジティブなエネルギーを創り出し、あなたをそのエネルギーにふさわしい人生ラインへと運んでいってくれる。一方、理想化は過剰ポテンシャルを産み、それが平衡力を発生させ、そして、平衡力が過剰ポテンシャルの解消へと向かう。


p182
もしあなたが過剰ポテンシャルを維持するために行っている膨大な努力から解放されたら、不快なことがらの大半を味わわなくて済む。さもなければ、膨大なエネルギーは空費されるだけでなく、平衡力を差し向けられることになり、意図していたこととまったく正反対の結果を得ることになる。


p183
周りの世界を変えようとする試みは、バランスを崩すのである。世界の構造に活発に干渉することは、程度の差こそあれ、多くの人々の利益を損なわせることになる。
(中略)
運命は、あなたが変えることはできないが選ぶことはできるという意味において、本当にあなたの手中にある。運命を切り拓こうと文字通りに努力した多くの人々は、敗北を喫している。


p204
個人的な尊厳を勝ち得るための鍵は、罪悪感を持っていないということにある。本当の個人の力は、喉をわしづかみにすることにあるのではなく、その人格が罪悪感からどれほど自由でいられるかにある。
(中略)
もし自分自身でいることを自分に容認できるならば、弁明する必要性は消えてなくなり、罰せられる恐怖は吹き飛んでしまうだろう。すると驚くべき事が本当に起こる。誰もあなたを侮辱しようとはしなくなる。たとえあなたがどこに居ようともである。牢獄、軍隊、強盗団、職場、裏町、坂場など、どこにいても…。誰かが暴力で脅すような状況に遭遇することもまったくなくなるだろう。ほかの人たちは時として何らかの暴力に遭うだろうが、あなたは違う。なぜなら、潜在意識から罪悪感を追い払ったためである。
これは、つまり今いる人生ライン上では罰を受けるシナリオは単に存在しないという、ただそれだけのことなのだ。


p215
重要性とは、純粋な形の過剰ポテンシャルであり、それを解消する際に、平衡力は過剰ポテンシャルを産み出した者にとっての問題を作り出す。
重要性には二つの種類がある。内的重要性と外的重要性である。
内的重要性、別名、自己重要性は、自分の長所または短所の過大評価として現れる。この場合にありがちな常套句としては、「私はVIPである」または「私は重要な仕事をしている」というようなものがある。もう片方の面にあるものはというと、自分の長所の矮小化や自己卑下である。過剰ポテンシャルの値は符号がプラスでもマイナスでも同じということだ。
外的重要性も人間によって作り出される。それは、対象や周りを取り巻く世界の事象に大きな意義を与えた時に生じる。この場合にありがちな常套句は次の通り。「私にとって大きな意義を持つのは…」または「私にとって・・・をすることは非常に重要である」。このような場合に、過剰ポテンシャルが作られ、すべてが台無しになる。


p219
外見上は平静を装っていても、内面が煮えたぎった状態であるならば、過剰ポテンシャルはますます強まる。感情は関係によって産み出される。そのため、関係を変えなければならない。感情や気持ちは結果に過ぎない。原因はいつも一つのところにある。それが重要性である。


p224
自分が重要性を与えたものを突き止めたら、それと縁を切ろう。壁は崩れ、障害は自壊し、問題はひとりでに解決される。障害を克服しようとはしないで、重要性のレベルを引き下げればいいのだ。
(中略)
外的重要性を低くすることは、無視したり過小評価したりすることではない。反対に、無視することは逆の符号が付いた重要性にほかならない。人生に対する姿勢をもっと簡素なものにする必要がある。無視もせず、誇張もせず、というように。どんな人々なのか、良い人々か、または悪い人々か、ということは、あまり考えすぎないことだ。日常の世界の、あるがままを受け入れるのだ。
内的重要性を低くすることは、謙遜や自己卑下とは違う。自分の過ちや罪を悔い改めることは、自分の長所や短所を取り立てて強調するのと同じである。あなたの後悔を必要としているのは、あなたをコントロール下に置きたがっている振り子だけである。自分の長所を褒めちぎったり。短所をこき下ろしたりしてはいけない。内なる平穏を求めよう。あなたは重要人物ではないけれど、取るに足りないわけでもない。


p229
あなたは自宅にいるようにくつろいでよいのだが、客人であることを忘れてはならない。もしあなたが周囲にある振り子たちと調和のとれたバランス状態にいる、すなわち振り子たちと同じ調子で一緒に振動しているのならば、あなたの人生は軽やかに心地よく流れて行くことになるだろう。あなたが周囲の世界と共振を始めるようになると、エネルギーを受け取り、大した苦労もなく自分の目的を達成することだろう。


p240
次のように有害なパラドックスがある。あなたが忌々しい状況に遭遇して不満をもらすと、その結果として、状況はもっと深刻化するというものだ。
(中略)
人間は攻撃することが自分の力であると誤って解釈しているが、実際は、振り子が仕掛けた蜘蛛の巣に絡まって身動きが取れず、もがいているだけなのだ。


p253
漏斗の中心から、いかに遠くにいられるかが肝心だ。これは、惨事や災害に関する情報を自分の中に取り入れず、それらに関心を持たず、思い悩まず、話題にせず、総じて聞き流しておくことを意味する。ここで注意することは、情報から遠ざかりはしないものの、それを自分の中へは取り込まないという点だ。


p276
自分の世界の層にはどんなネガティブな情報も入れてはならない。入れてはならない、ということは、敬遠する(自分の人生に入り込むことを許可するものの、猛然と逃れようとする)ということではなく、意図的に無視する、関心を示さない、ということである。


p305
どの問題の中にもその解決方法への鍵が暗号化されて入っている。一番最初の鍵は、最小限の抵抗で道を進むというものだ。


p306
論理的な結論だけを用いて最適な行動のバリアントを選択するということは、いくら努力しても稀にしかできない。通常、理性はストレス、心配事、鬱状態、躁状態による圧力を受けている。言い換えると、理性は常に振り子からゆさぶられているのだ。そのため、いつも理性はあくまで自分の考えを押し通そうとして、外の世界への正面攻撃を強行する。
小流の次の鎖を選ぶには、ただ振り子の糸から解放されて、この小流に素直に従うだけでよい。すなわち、平衡状態を保ち、過剰ポテンシャルを作らない必要がある。過剰ポテンシャルを作らないようにするには、常に重要性のレベルをチェックしなければならない。
周囲とのバランスの取れた状態になったら、小流にただ従うだけでよい。あなた自身を導こうとするたくさんのサインを見かけることだろう。状況から少し距離を置き、参加者ではなく外から見守る観察者になろう。


p308
波に翻弄されるままの紙の舟になれという話をしているのではない。水面を両手でばしゃばしゃと叩きつけることでもない。あなたにとっては簡単なはずのちょっとした泳ぐ動作を行えば、それで十分ということなのだ。


p325
流れにもっと大きな自由を与えることが必要となってくる。流れはあなたの運命を破綻させることに関心はない。ここまで読んで、これはどうもつじつまが合わないと、あなたは思われるかもしれない。しかし運命を破綻させるものは、理性が取る不合理な行動の方なのだ。


p326
さあ、ここで、もし理性が自分の重要性のレベルを引き下げて、シナリオからの逸脱を認めたとしたら、人生がどれほど楽しいものになるか、想像してみよう。
(中略)
自分のシナリオからの逸脱を望まないという理性のあり方こそが問題である。なぜなら、バリアントの流れの小流に潜んであらかじめ用意されている解決方法を、理性自身が活用できなくなるからだ。すべてをコントロール下に置きたいという理性の偏執狂的な傾向が、人生を流れとの絶え間ない闘いへと変質させている。


p328
すべてに同意し、すべてを受け入れるように、と提案しているわけではない。ただ戦術を変更し、コントロールすることから見守ることへと重心を移すよう提案しているのだ。コントロールしようとせずなるべく見守るようにしてみよう。
(中略)
きっとあなたは、茫然自失とまでは行かなくても、たいへん驚くに決まっている。まったく逆説的なことが起こるだろうから。コントロールすることを諦めることで、あなたは状況に対してこれまで以上に大きな監督権を手に入れるのだ。


p329
流れと折り合って進むことを振り子は邪魔する。振り子は、人が一歩進もうとするたびに挑発してきて、両手で水面をたたきつけるよう仕向ける。流れの中にある小流の存在は、小流自体が最小限のエネルギー消費で動くという単純な理由から、振り子にとっては許容できない。人が流れとの闘いで消費するエネルギーは、過剰ポテンシャルの発生源と振り子の動力源として利用される。内的重要性と外的重要性のレベルをコントロールすることこそ、非常に大切なことなのだ。この重要性を与えるということが、理性が状況から少し距離を置こうとするするのを妨げるからだ。是非このことを忘れないでいただきたい。


p330
勇気を出して状況から少し身を引き、水面を両手でたたきつける権利を他者に与えてみよう。もしこれが意識的にできるようになれば、魂の状態がすぐに軽くなり、自分の見解を証明する場合よりもかえって楽になる。あなたは自分の意義に固執しないでいることが普通となり、ちょうど賢い親が無分別な子供たちを相手にするかのようにふるまうことが可能となる。そして自分のステージが一段階上がったという事実で、あなたが満足感を覚えることだろう。