【語録】クリシュナムルティ~葛藤

瞑想の役目は、内面的に、したがって外面的にもあらゆる葛藤を完全に消し去ることである。
葛藤を消し去るためには、この基本原理を理解していなければならない。
「心理的に、観察者とはじつは観察されるものにほかならない」
怒りがあるとき、そこに<私>はいない。だが、一瞬後に思考が<私>をつくり出し、「私は今怒った」と言う。
そして、「私は怒るべきではない」という考えを持ち込む。
だからまず怒りがあって、しかるのちに、怒るべきではない<私>が出てくる。その分裂が葛藤を生むのである。
観察する者と観察されるものの間に分裂がなく、したがって、あるのはただあるがままの実体、すなわち怒りだけだとしたら、そのときには何が起こるだろうか?
怒りは続くだろうか、それとも怒りは完全にやむだろうか?
怒りが湧き上がっても、それに目をとめる者がなく、分裂もないとき、その怒りは花開いてそしてしぼむ。さながら一輪の花のように、それは咲き、枯れ、そして消え去る…。
しかし怒りと闘っている限り、怒りに抵抗し、怒りを正当化している限り、人は怒りに活力を与えていることになる。
観察する者が観察されるものであるとき、怒りは花開き、成長し、おのずと死ぬ―――したがって、そのなかには心理的な葛藤はない。

J・クリシュナムルティ